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「ライフ(いのち・生活・人生)」の為の

メールリスト「ホリスティック」

Part2.

ホリスティックな教育・健康・医学に興味のある人達の為の意見交換の場として、メールリストによる対話が続いています。Part2.のタイトルは「ライフ(いのち・生活・人生)」です。参加希望の方は

hal4life@joy.ocn.ne.jp まで。

(バックグラウンド写真=ウメイロモドキ 撮影 パラオ Blue Corner 2000/11)

 

 

 目次

はじめに

●インターネットという巨大な電子回路(インターネット)が、世界中を巡りそして個人の所まで配線されるようになりました。普通の市民が、自分のコンピュータや携帯端末を使って、巨大メディアや企業などの組織と全く同じ立場で、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を発信する事が出来るようになった事は、今まにはなかった事です。インターネットは、「みずからの意図」でつなげれば、個人の意識にまで届くし・届けることができます。「蜘蛛の巣のようなつながり(web)を通しての「thoughts(情報・言葉・考え方・思考)」の共有がおこる。つぎに、「ライフ(いのち・生活・人生)」のレベルでの人と人の「つながり=relation」に発展し、さまざまな、人間の営み(events or What-is-going-on)となってゆく事が可能です。この事は、このメーリングリストでも実証されている事です。「インターネットがなければ、決して出会えなかった人とつながる事が出来ています。」

21世紀の選択

●いままで、一般意味論の紹介として、言葉と人間の行動について触れてきました。あと一人が成長する過程で、どのように「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」と接するようになるかについてふれましたが、その悲劇的な側面から学ばないといけません。歴史上で、十字軍に志願した若者、イスラム諸国のジハードのゲリラ戦士、大東亜平和圏を夢見た若者、特攻隊員、文化大革命で活躍した紅衛兵、などなど、純粋に 「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を信じて行動していった人達です。やはり、「地図は現地ではない」という例えに学び、現地をみる事を忘れないことですね。

●21世紀はだれも体験してはいません。つまり、地図がない世界をすすむのです。いつも目的別(個人のライフ(いのち・生活・人生)スタイルにあった、自分の時代の地図をつくる必要があるのではないでしょうか。自分が何をしたいという事が、ハッキリするに従って、混沌とした情報化社会の現地が見えてくるのではないでしょうか。それにしたがって、次の目的地にむかって安全な航海を準備し、嵐や時化などの障害さえも、備えて進めば、大変な時代でも、喜びを感じながら、進むことは出来るのではないでしょうか。

●これからは、一人ですること、家族ですること、仲間と一緒にすることなど、さまざまな「人のつながりたか」がうまれてくると思います。ちがった「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」の人が集まって21世紀を生きていくのですが、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」の違いやを分析したり批判をはじめると、お互いが、防衛的態度になりがちです。それよりも、●「ライフ(いのち・生活・人生)」のレベルで交流を重ねていけば、「あの人達の考えていることは理解はできないが、信頼しても大丈夫である」という人間関係を築くことで、共存の道が探せるのではないでしょうか。

 

                         提案です。

2001年になった今、このホリスティックというメーリングリストのみなさん、みなさんにとって、どのような時代にしたいか、希望を書いてみませんか。いままで書き込みをしていない人も、coming outしてみませんか。このリストに登録されている人達の職業や専門分野をみてみると、必要に応じて力をあわせれば、すごい事が出来る人達ばかりです。お互いに助け合うことによって、両方ともメリットを受けるwin-winの関係が生まれるのではないでしょうか。

uploaded Jan. 08. 2001

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  岩波新書「ワークショップー新しい学びと創造の場ー」

を巡って平野慶次編集

 21世紀の幕開けに中野民夫さんが書かれた表記の本が、岩波新書の一冊として出

版されました。岩崎正春さんが、アメリカの大学院で共に過ごした仲間として、本を

紹介して下さいました。とても時宜に適ったいい本がでたな、と思ったのですが、こ

の本をニューズレターで紹介することになりました。所謂書評では何だか本に申し訳

ないなと思い、メーリングリストの上で応答的書評の試みをしてみました。メーリン

グリスト上のことですから、既に詳細を読まれた方もおられるでしょうが、編集され

たニューズレター版でも再読して戴ければと思います。

 

平野:知育偏重教育が批判され始め久しいですが、新しい学力観(興味、関心、意欲)

   が大切であると言われてくる中で、参加体験型の授業などというスタイルが生

   まれて来ましたよね。更に、総合的学習の導入イメージで強化されたように思

   いますが、どうも「ワークショップ」じゃないような気がします。岩崎さんは

   そこら辺のことについて、どうお考えでしょうか?

岩崎:私は、同じ大学院 California Institute of Integral Studies にいたので、

   個人的に中野民夫さんを知っているし、たいへん尊敬していた人です。そのこ

   とは置いておきますが、仮説体験型や参加体験型の授業が語られて久しいです

   ね。そして、いまは総合的学習という言葉が使われるようになりました。「総

   合的なら全体的という意味?それならホリスティック教育だ!文部省も、変わっ

   たもんだ、ホリスティックになってきた」 はたして、そうなんでしょうか?

   私はホリスティックではないと思います。平野さんの言葉で言う「ワークショッ

   プじゃない気がする」と同じでしょう。言い換えると参加体験型は「ワークショ

   ップだったのでしょうか」「ワークショップなのでしょうか」それなりに「良

   くしよう・努力しよう」という動きは、さまざまな人達の間でありました。成

   果もあったと思います。これを考えるに三つの事を述べたいと思います。

   ひとつめは、「的」や「型」や「風」は本物の「敵」だということです。一般

   意味論の視点で言うと、「参加体験型授業」や「総合的学習」という「型」 

   「的」という言葉がついているのは、気をつけないと、本物ではありませんと

   いう証拠」です。「的」や「型」や「風」がいつになったら本物になるのだ!

   ということです。そして、物事を学ぶ上で、本当に参加体験しないで、身に付

   くかという疑問が湧きます。

   ふたつめは、成果をみんなでシェア(分かち合い)し、congratulate したか、

   ということです。参加者が体験したことを、自分のワークした作品(成果)を

   見せながら言葉で説明し、それに対して、指導者や他の参加者が、素直な意見

   を交わしたか、そして、一緒にワークしたことを祝ったか(congratulate)?し

   たかということです。この点が日本の今の学校の形態では、かなり難しいので

   はと思います。

   3点目は、21世紀の先生の役割についてです。一言で言えば、21世紀の先生

   の仕事は知識の切り売りでは成り立たないということです。トフラーが「未来

   の衝撃」で話していたことが現実に起こっています。今コンピュータインスト

   ラクター達の間で「一番教えがたいのは学校の先生」というのは、定説です。

   すごいプライドがあり、知らないことや失敗することに抵抗をしめすらしいで

   す。問題は、「未知のこと」や「恐怖」に面したときにどのように取り組むか

   という部分です。ホリスティックな視点としては大切なことです。

   中野民夫さんの「ワークショップ」という本は、21世紀の教育に対してのヒ

   ントを大勢の人達に示してくれています。言い換えると、「20世紀型の先生

   のストレス」を救ってくれるとも言えます。これからの教育の問題点は、先生

   以上に才能をしめす学習者や学習に時間がかかる学習者にどう接するかです。

   つまり、いまでいう Special Education の部分です。そして人間の能力を補っ

   てくれる道具をどこまで許すか?という問いですね。

平野:岩崎さんのお考えがわたしの問い掛け以上に膨らんだお答えと思いますが「ワ

   ークショップじゃない気がする」という点で、きちんと答えて戴けたようで嬉

   しいです。ご指摘に関してですが、人間の「知」というものは不思議な性質が

   あって、必ずしも体験的でないものもあるように思います。学生時代のわたし

   の専攻は正にそういった領域にあるものでした。数学なんですが、そもそもわ

   たしが数学を選んだ理由は、得意だったこと、好きだったことが基本的理由で

   すが、ひとつどうしても外せない理由がありました。それは、数学のもつ純粋

   論理みたいなものと世の中の接点をどう構築すれば良いのかという課題をもっ

   ていたからです。残念ながら答えは見つけられませんでした。

   体験的知と論理的知とは区別する方が解りやすいと思いますが、ワークショッ

   プの領域は体験的知をその領域としているというのはいささか乱暴なのでしょ

   うか。

   もう一点、3点目のご指摘で思い出したのですが、奈良に「たんぽぽの家」と

   いう障害者の自立を支援することを核に、様々なバリアフリーを実現すべく活

   動している団体があります。そこに「たんぽぽ憲法」なる決まりがあり、その

   一つが正に岩崎さんのご指摘の意味に相応しい決まりなんです。「人は失敗す

   る権利がある」という風に書かれていたと思います。世の中にはかなりこの権

   利を認めていない人が多いと思うのですが、この辺りに「未知のもの」に接す

   る態度を規制するような要因があるような気がするのですが、如何でしょうか。

岩崎:体験的ではない知識に対して否定的ともとれる書き方になってましたね。私は、

   純粋理論や純粋知の存在を否定するつもりはありません。純粋知としての理論

   を積み重ねるという大切さは、まったく否定しません。むしろ、日本の予備校

   に支配されてしまった進学教育の現状で、純粋な「純粋知」「純粋理論」が育

   ちにくくなってしまったと感じています。「今の受験教育が何の役に立ってい

   るか」という問いかけに対して、『一番よくある答えは、若いうちに「知的な

   トレーニング」をする事である。』と考える人がいるのには、異論を唱えたい

   のです。

   実は、数学に置いても、ワークショップはあると思います。深夜の衛星放送で

   外国の新鋭の数学者が、「時間」についての講演をワークショップとして観衆

   に示していました。「時間はどのように捉えられているか」などなど数学や理

   論こそ、ワークショップ形式で教えられる事の方がふさわしいと思います。たっ

   ぷり時間をかけて、対話を積み重ねながら純粋理論を学習してゆく。現実の日

   本では、細切れの一時間60分で、学生全員が理解できているかが確認されな

   いまま、「理解されたとみなす」という教育がすすんでいるのです。この「み

   なす」ことが、日本の文化(教育)の悲劇の原因だと思います。もっともホリ

   スティックではない部分だと思います。

   ワークショップ形式の学習で一番すばらしいのは、平野さんの書かれた「たん

   ぽぽ憲法」にもあるように、「人は失敗する権利がある」という部分ですよね。

   世の中は、つまり日本の世間は、「人は失敗する権利がある」を認めないそし

   て、「失敗したら叩く」のです。日本の現在の世間とはマスコミ先導型です。

   「マスコミは、正しい世間の目である」というとんでもない誤解はなんとかな

   らないのでしょうか。自分の目で体験したことまでも信用しないのです。

   例えば{六面体(箱)を考えてください}という問いに数学者は、点と線で箱

   を書く、職人は、厚みをどうするか、どのように材料を組み合わせるかを考え

   る、電気や機械の箱を作る人は、中に入れるものの配置を考える、デザイナー

   は、外側のイメージを考える、電気やコンピュタ関連の人は、スイッチの位置

   や意味を考える、などなど。そういう人によって様々な受け取り方のバリエー

   ションがあることが大切であり、自分の考えや体験は、自分の世界の反映した

   一つであることを知る、勿論失敗作であることも問題にはされないのです。

平野:話が随分拡がりましたね。わたしも数学がワークショップで学べるという点に

   異論はありません。つまり体験的知を越えてワークショップが可能だと岩崎さ

   んもわたしも考えているようですね。対話を重ねて純粋理論を学ぶことが大切

   だとの指摘も嬉しい響きがありますね。小学校や中学校レベルの算数・数学は

   ワークショップ的アプローチが向いているように思います。小学校の1年生の

   問題に次のような形ものをよく見掛けます。

   (問題)次に並んでいる数字の空白を埋めなさい。

    ? 1、( )、3、( )、5、( )、7、・・・

    ? 1、( )、2、3、( )、8、・・・

   ?については大抵の子どもらはすぐに答えます。?については殆どが答えられ

   ません。?の答えは小学校では、2,4,6としています。?の答えは1,5

   となります。実は?はフィボナッチ数列(大学で数学をする人以外は殆ど知ら

   ないと思います)になっています。これをワークショップでやると色々な答え

   が出てきます。?の例で言いますと殆ど無限に答えを作れます。実は小学校で

   は数列のルールを規定していないのです。ですから、1,3,5,というのも

   答えになります。4,8,12,や2,2,2,も大丈夫です。もしワークショ

   ップでこの問題に取り組むなら数列のルールと答えの数字の両方を考えてみる

   というのが課題として設定されることになるでしょう。これは演繹的アプロー

   チです。理論を組み立て拡げる代表的な方法は帰納法と演繹法ですが、演繹法

   の方が解りやすいので、ワークショップには向いているだろうと思います。

   またまた余計なことに話がそれましたが、そろそろ中野民夫さんの本のことに

   話の照準を合わせましょうか。先のわたしの問い掛けの意味はワークショップ

   の可能性と限界性にスポットを

   当てることでした。かなり話が拡がり論点がぼやけたようにも思いますが、ワー

   クショップに向くことと向かないことの両方があるという点については同意し

   て戴けてるように思いました。

   そこで、中野さんの本の文脈に則した言い方ならどうなるでしょうか。ワーク

   ショップの素晴らしさそのものについて実に上手くまとめて戴けていますが、

   限界性や不可能性については発展途上であることに集約しているように感じる

   のはわたしだけでしょうか。

水口:途中から割り込みますが、中野民夫さん陽子さんの事はわたしも存じています。

   約20年前にアクエリアン革命研究会という自主講座で同席していました。

   最初はワークショップという言葉の響きがずいぶんとなつかしく感じられまし

   た。そしてなんで今ワークショップが話題になっているのか解せませんでした。

   しかし、第4部ワークショップの応用、を読んで非常に身近な問題であること

   に気づかされました。意外にもわたしはワークショップ的要素を身に付け、そ

   してそれを応用しながら仕事をしているようです。それは情報を共有すること、

   意思決定のプロセスを共有すること、ベースとなる共通の体験をする事等、自

   分の役割の範囲でですが実行するようにしています。そうしないと気持ちが悪

   いし、片手落ちのような気分になります。ただし効果はよく分かりません。自

   分のワークショップ体験がただ過去のものでなく、今も生きている事を教ても

   らったように感じます。どうように「場」に対して関わるのか、ワークショッ

   プとはそれに対する提案、問題定義なのでしょうね。

平野:ワークショップの現実的効果という側面からのお話と思いましたが、効果のほ

   どについてもう少し書き込んでみて貰えませんか。例えば仕事上のトラブルが

   減ったとか、人間関係が構築しやすくなったとか。

岩崎:「ワークショップの可能性と限界」ですね。これは、水口さんの指摘でもあり

   ますね。ワークショップ的要素を身につけて応用して仕事をしているのは、水

   口さんが、いい仕事をしているという事ですね。目的志向型の組織(ミッショ

   ン思考)だからでしょうね。営利企業は、そういう組織ですから、みんなが 

   「目的に対する意志の共有」がないと成り立ちませんね。「情報の共有」「意

   志決定のプロセスの共有」「共通体験」「自分の役割の範囲での実行」などが、

   確かにワークショップの大切な要素ですね。営利組織では、意志決定役員がい

   て、他は決定プロセスに参加できないと思うのですが、この部分が、組織の最

   終目的や性格により様々ですね。そして、この「プロセスに参加できる」か 

   「その場にいられる」という事が、参加者の生き方に影響を与えると思います。

   そこで、ワークショップの必要性と可能性は、いまの日本の社会では、大いに

   あると思います。中野さんの本はすごく良い影響を与えてくれると思います。

   彼は広告会社で、自治体や企業に対し「企画のプロセスを援助する」という仕

   事をしているので、会議のセッティング・ダイヤグラム(フローチャート)を

   使った説明、など本当に、実際的ですね。不可能性や限界は、確かに、未知で

   しょうね。こういう事を考える上で、「日本語」は結構やっかいな道具だと感

   じています。話の核心を避けて、トラブルになる事を避けるという言葉です。

   同じ事を英語でやるのと日本語でやるのでは、随分結論のでかたに違いがある

   ようです。

   この意志決定や建設的な討論の進め方について、いろいろな市民運動にかかわっ

   てきた平野さんはどう感じていますか。よい意見がでてくるまで、忍耐強く 

   「待つ」のでしょうか。

平野:現実的効果はあらゆる場面で恐らくあると思います。市民活動に関わる中で、

   様々な意志決定プロセスを経験しています。そんな中で民主的な解決が唯一の

   方法だとする多くの人に出会いました。そういう人達は、結局は少数者を切り

   ます。そんな場面と沢山遭遇している内に、民主主義に愛想が尽きてきました

   が、その代換え案として、有効な方法が正に「ワークショップ」でした。しか

   し、現実場面では100%ワークショップのようにはできませんでした。その

   理由は、市民活動の場合は大抵着地点が決まっているようなところがあるから

   です。むしろ、カリスマ的な方法の方が有効と感じることもありました。です

   から、正直なところ決定プロセスや建設的話し合いの場合ですらファシリテー

   トしながら、ナビゲートも試みることもありました。

   今は、「自己開示」が一つのキーワードになっています。何がやりたいかも大

   切ですが、何がやりたくないことか、という側面からアプローチし、最大公約

   数を見つけるようにしています。その意味では、辛抱強く待つという感じも確

   かにありますが、ただ手をこまねいて待つことはしません。

水口:現実的効果というか効用については、直接的因果関係的に説明できることはま

   るでないように感じます。と、いってもわたしがワークショップによくでてい

   たのはかなり昔なので記憶にないかもしれません。逆に本の中で注意点として

   指摘されていた「ワークショップ中毒」の気があったように思います。こっち

   が本当であっちはうそ、みたいに自分の属する社会へのなじめなさを正当化す

   る情緒的根拠として利用していた点があります。その点では逆に関係を悪くし

   ていたかもしれません。効果があるとするならば...場に対する関わり方、

   それが会議だったり、業務だったりして、それらに対する関わり方、策略的で

   なく、操作的でなく、強制的でなくても、素直に主体的に関われば、どんな場

   面でも、とは思っていませんが、何かが動くのではないかと思っている事のよ

   うです。平野さんの現実的効果とはどのようなものでしょうか?

平野:わたしにとっての現実的効果は?とのご質問ですが、最近考えていることがあ

   ります。それは、現実の線形性と非線形性についてです。平たく言えば、論理

   的に構築できる現実と、論理的に構築できない現実についてです。例えば二人

   の人間の関係を考えてみますと、どのような関係の人間なのかに依存的な部分

   (上司と部下、親と子など)と、個であるが故にその関係性に全く依存しない

   部分があります。前者の依存的部分の大半は論理的に構築しうると思います。

   後者は論理的に構築不能なものと思います。上手く説明しにくいのですが、人

   が何らかの行動をとる時、大抵の場合モチベーションがそのベースにあります。

   そのモチベーションが関係性に依存的であることは少なからぬ現実でしょうが、

   関係性から離れたものであることも珍しくはありません。論理的脈絡のない行

   動は他人には不可解です。しかし、共同作業でこの脈絡のなさを構築すること

   を可能にしてくれる有効な方法がワークショップではないか、というのがわた

   しの考えていることです。

   ですから、ここに落とし穴が潜んでいると思います。つまり、共同作業による

   結論について、その真偽は問われないことが多々あるということです。真偽を

   見極める必要はありませんが、その共同作業の輪にいない人にとってはやはり

   不可解さが強いものでしょう。最近では行政主体のワークショップが多く見受

   けられますが、公共事業などを行う場合数年前までは、公聴会なるものが開か

   れていましたが、それに取って代わるものとしてワークショップの手法が取り

   入れられているのです。住民主体に見せかけて、アリバイをより強固なものに

   してしまうのです。これが共同作業の落とし穴だと思います。

   ワークショップの効果をこのような形に消化しては、最早ワークショップとは

   言い難いと思いますが、世の中にはこうしたワークショップが多数あることは

   否定できません。

   話が少々それてしまいましたが、先に書いてました論理的脈絡のない或いは弱

   いテーマを扱う場合に特にワークショップが有効だと考えています。非線形的

   現実に対しとても有効と思います。ワークショップは、その共同作業の輪の中

   で、自己組織化を始めるからです。

岩崎:平野さんの「論理的に構築できるもの」と「出来ないもの」という二つの面が

   あるのは事実ですね。人間のモチベーションは、どちらかというと感情的なも

   のですが、その裏側には、しっかりとした合理的・論理的な基準が必要だと私

   は考えています。しかし、日本人の行動原理は、北欧的あるいはユダヤ的な理

   論的なものではないようです。これは、文化的な違いだと思います。日本の営

   利企業や行政の場合でも、感情的なものに左右されているようですね。

   日本でのワークショップでしばしば見られることですが、論理的な理解が目的

   であるワークショップでも、ワークショップの主催する人の論理的な意図が理

   解されないけども参加者同士の結びつきが強まり、「つながりが生まれる」と

   いう場合があります。共有体験を持つことは、ワークショップの大切な一部分

   です。しかし、それだけではないというのが私の考えです。「共有体験」と 

   「ワークショップ」を同一化しないことですね。

平野:何だか話をややこしくしてしまったようで、申し訳ありません。日本人の行動

   原理についてはよく解りませんが、論理的な意図を超えてしまうという点につ

   いてはその通りだと思います。現実の世界は、むしろ非線形的な事象に取り囲

   まれていると言えるのではないでしょうか。例えば、何か解決したい身の回り

   の出来事に出会った場合、その出来事の中から論理的に割り切れる要素だけを

   ピックアップし、整理し、答えを探すという方法で一見正しそうな解決を得る

   というケースが多々あるのではないでしょうか。ところが、実際には上手く解

   決できないということがままあります。正しいはずなのにと思いながら、正し

   くないかも知れない答えに逡巡することになるのでしょう。

   中野さんは、本のあとがきに、パートナーのようこさんとの関係性を究極のワー

   クショップと書かれていました。実はこの表現がとても気に入ったのですが、

   正に非線形的体験の連続とも言えそうな夫婦という関係性を上手く言い当てて

   いると思います。ワークショップのメタファとして我が身に深く突き刺さった

   ようです。お返事は戴きませんが、この点に対する感想を中野さんにも簡単な

   メールを送りました。

   さて、散漫ながらも「ワークショップ」を巡って、話を交換して来ましたが、

   最後に一言づつ発言して戴ければと思います。

水口:「論理的に構築できないもの」を意識化、言葉化するという事は胸、腰、腹に

   あるものを言語化することのように思えます。グループでそれができれば、そ

   してそれが共有できればすごい力になるでしょうね。

   最後に一言添えておきます。「ワークショップ」を読んで、自分が勤めている

   会社を自分の属する「場」として捉えるようになりました。そしてもうちよっ

   と違う仕事ができるかもしれないとも。それが様々な問題を経過させていく力

   のひとつになるかもしれないと。そんな風に思っています。

岩崎:水口さんの「胸、腰、腹にあるものを言語化することのように思えます」とい

   うのは、水口さんの捉える「人生の体験」のプロセスと捉えたらいいのでしょ

   うね。「言語で表すことが出来ない事は、グループで共有体験をすることによっ

   て、つまり、同じプロセスを体験することによって共有できればすごい力にな

   る」ということですか。

   最後に一言。例えば「会社」を自分の属する「場」として捉える、そういう視

   点はあたらしい展開をもたらすと思います。実は、体験をするのには、「場」

   が必要なのは、自明の理ですが、そういう「場」に対する理解が、教育界では、

   ますます少なくなるようにあります。これは、情報化社会(コンピュータ化)の

   社会全体のながれのように思います。つまり、映像化されたもの・言語化され

   た手段を通じて教育をすることが当たり前になってしまった。そういう時代だ

   から本物の体験を通じて学ぶという「ワークショップの基本」がますます必要

   になってくるのです。それが、この本の価値であると私はおもいます。

平野:概ねわたしの感覚も水口さんの評価や岩崎さんの評価に、通じているように思

   います。言葉のニュアンスなど、人それぞれの感覚にも拠りますし、同じなの

   か違うのかを問うならば、全く同じということはないのでしょう。少しずつの

   ズレや差は、同じテーマに共に取り組む中で、切磋琢磨しながら、近づいたり

   離れたりするのだと思います。こんな場合には、ワークショップの手法は極め

   て有効でしょう。

   ワークショップは、色んな可能性を秘めていると思います。瞬間的に人を巻き

   込む力も備えているように思います。マインドコントロールに落ちないように

   気を付けたいと思います。様々な可能性の裏に落とし穴が潜んでいることを意

   識したいと思いますね。

   長らくのお付き合い、ありがとうございました。

 

 約1ヶ月に渡りメーリングリスト上で意見交換したメールメッセージを対話風にま

とめてみました。如何でしたでしょうか。あまり本のことが判らない、とのお叱りを

戴きそうにも思いますが、この本が如何に多様なテーマを創出してくれているか、と

受け取って戴ければ良いなと思います。お勧めします。読んで、考えて、動いてみて

下さい。

予告していたように

日本人の行動原理について書きます。

 

一般論は、概念の遊びになると言う、危険性はあるのですが、

あえて書き込みます。

 

「日本人の行動原理」というのはまだ不確かなので

「日本語だけで教育を受けてきた人間」と言う方が正確だと思います。

 

日本語の壁 1.

 

日本語で話をする限り、日本語の特性が反映してしまいます。

一つは、敬語です。幸いにも、日本語の敬語が、時代を反映して

乱れてきたのは良いことであると思います。

 

 

相手の年令・地位・性別などで、同じ内容の事を表現するのに

違った言い方をしなければならないのは

見えない壁だとおもいます。

 

英語では Youですむことを

 

あなた、おまえ、○○君、○○様、○○、などなど

討論の内容意外にどのような言い方をするかという事に

かなり「気」を使ってしまいます。

 

特に、目上で社会的に上位にある人に反対意見をいう事は、

言葉の上でも、非常に、やりにくいことになります。

 

これは、ハングル語(韓国語・朝鮮語)では、日本語よりも

つよい文化的壁になっているようです。

 

 

私は、目上の人にも大学生に対しても、丁寧語を使うようにしています。

結果的に女性の話し方に近くなってしまいますが。

 

そのため「変な人」「変な先生」と言われたことがありますが、

 

日本語の壁 2.

日本語には、相手を傷つけないために(自分を傷つけない)、お互いに話の核心をそら しあげる

という、思いやりの言い方が強い様です。農村型の閉鎖型の社会では、人間関係のト ラブルが

ひとたびオープンに成ると解決がかえって難しくなるという社会です。

ですから、思いやりで、仲間をかばう(隠す)ことがあります。

時には公然の秘密として、みんなが「知らない(^O^)」をする事もよくあります。

 

おかげで、本質的な問題がなかなか表に出てこないので、いつまで経っても

問題の本質的な解決ができにくいようです。

 

 

「お出かけですか」

「はい」

 

「どうも」

「気をつけた方が良いよい見たいですね」

 

 

日本語の壁 3.

 

日本語の特性としては、なるべく不必要な言葉は入れなくても良いという言葉です。

英語は、 he, she, it, the, they, there,などは、きっちりと使わないといけません。

 

 

「私は岩崎正春です」という分を一部変えて

「私はカレーライスです」というのも正しい日本語です。

 

 

 

別に、人間の私が殺されて、肉がバラバラにされてカレーライスになったのではあり ません。

 

食堂などで「あなたは何?」と聞かれたときの答えとしては、

正しい日本語です。

 

つまり、正確に全部表現する英語などとは違うのです。

つまり、話しているときに、意味が曖昧な言葉を徹底的に

なくして話し合いをするという文化的な土壌とは違います。

 

 

 

以上の事が統合されると、日本語での会議は、なかなか何を話しているのか

理解がしにくい。そして、質問も、本当の質問ではない。

なんか、みんなが、勝手に独り言をいっている様に感じているのですが。

 

体験的に、同じ内容のことを、目の前にいる人の理解する言葉の関係で

日本語と英語で説明するという事をよくやったことがあるのですが、

なかなか同じように話せないのです。

英語の方が、直接的に、ものを生み出すのには

適しているように思えるのですが、、

 

最近の市民運動などでは、次第に、みんなの話し方が、丁寧語に成りつつあるのは

良い傾向だとおもいます。

 

 

会社関係はどうなんでしょうね。

 

ワークショップにおいて、どういう言葉遣いをするかというのも

その成果に繋がることかもしれませまん。

 

これで、私のワークショップへの最後のコメントとします。

 

みなさん、読んでいただきましてありがとうございました。

 

これにて、中野民夫さんの本「ワークショップ」に触発された共同の書評でした。

 

 

hal4life@theia.ocn.ne.jp